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親鸞聖人御上陸の地 新井別院
新井別院
所在地 〒944-0048
妙高市下町5番3号  TEL0255-72-2519
拝観日時 午前8時30分から午後5時まで(説明を聞きたい場合には、連絡が必要)
アクセス 車:北陸自動車道上越I.C.より国道18号線を新井方向へ、292号線で新井駅方面へ

電車:JR信越線新井駅より2km、駅よりタクシー3分
駐車場 あり
宗 派   真宗大谷派
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建 造 物 / 法 宝 物
恵信尼公堂 親鸞聖人の奥方、恵信尼公終焉の地「とひたのまき」が板倉町といわれており、新井市若島家所蔵の親鸞聖人直筆と伝わる光明本尊が恵信尼公ゆかりのものと考えられるところから、遺徳顕彰の趣旨により篤信者若島与治郎氏により昭和31(1936)年に建立された。堂内には親鸞聖人御在世の頃からといわれる樹齢700余年の老杉(板倉町別所)で彫られた恵信尼公の尊像を安置する。
乗如上人
墨衣御影
天明8(1788)年火災で本山東本願寺が類焼し、寛政2年から10年
(1790?1798)の間、頸城の御門徒は京都に上洛して本山両堂再建の御奉仕をされた。その功績に本願寺第20代達如上人は、再建を発願した先代乗如上人の墨衣の御影を授与された。それから200余年間、「墨衣御影巡教」と称して、農閑期の毎冬、豪雪のなか頸南全域の集落を巡回し、法座が営まれている。
毛綱寄進帳 現在の東本願寺両堂は明治の再建であるが、巨木運搬のために毛綱を使用した。毛綱とは毛髪と麻を撚り合わせて作られたもので、越後の国からは15本の毛綱が寄進されている。寄進された毛髪の寄進帳と、期日に間に合わずに残された毛髪が蔵されている。

由緒沿革
江戸時代にはいり、真宗学の研究も盛んになり、本山でも学寮が創設されるようになる。
本末制度の確立によって教学体系は集権的になり、教義解釈をめぐる異安心問題を引き起こす背景ともなった。
当時、越後と北信濃地方に触頭寺院として絶大な教勢を誇っていた新井願生寺(大谷派)と、有力寺院の一つの高田浄興寺(戦後大谷派を離脱し、現在は浄興寺派本山)との間の教義異安心論争が巻き起こった。
本山はこの論争を取り締まるために役人を派遣し、敗訴となった願生寺跡を新井道場とし、貞享元(1684)年本願寺第16代一如上人により新井掛所が置かれた。
のちに、本山の裁定と幕府の対応に不満のある願生寺側の寺院は仏光寺派に転派する事態となる。
この新井別院は、3度の風水害と3度の火災に遭遇している。

延享4(1747)年暴風雨で本堂破損。
寛延元(1749)年暴風雨で本堂倒潰、2年後に再建。
明和3(1766)年全堂宇焼失。
安永元(1772)年本堂再建。
天明元(1781)年洪水で鐘楼梵鐘流失。
天保14(1843)年火災により鐘楼を残して全焼。
嘉永5(1852)年本堂再建。
明治11(1878)年全焼。
同年明治天皇北陸巡幸にあたり関山の宝蔵院より庫裡を移築。
明治28(1895)年十八間四面の現本堂を再建した。

度重なる再建と復興、また本山の再建に尽くされた頸城門徒の姿が、そのまま信心の歴史となっていまも深く息づいている。

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