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越後の親鸞 
聖人の歩み越後での生活御上陸の地七不思議ご旧跡めぐり
ご旧跡めぐり
佛性山 金剛院 無為信寺魚岩(さかないわ)の碑腰掛け石親鸞聖人袈裟掛の松曽我・平澤記念館木揚場教会都婆の松佐々木の太子堂
佛性山 金剛院 無為信寺
佛性山 金剛院 無為信寺
所在地 〒959-2026
阿賀野市下条町8-21
電話0250-62-2676   FAX0250‐63‐2420
拝観日時 事前予約が望ましい
午前8時から午後5時まで
アクセス 車:磐越自動車道新津I.C.から阿賀浦橋を渡り、460号を水原駅方向へ(I.C.から20分)、あるいは安田I.C.から49号線を水原方向へ(I.C.から15分)
電車:信越本線新津駅乗換え羽越本線水原駅下車徒歩10分 
拝観料 300円(団体の場合は連絡が必要)
駐車場 あり
宝物 (非公開多数) 
・金剛頂経蔓珠室利菩薩五字心陀羅尼品 1巻
  平安末期  国指定文化財 (淳祐筆)

・悉曇集記上中(淳祐筆)2巻
  平安末期  国指定文化財

・藤原氏系図(隆家流)1巻
  室町末期  国指定文化財

・古論草289冊   鎌倉室町  県指定文化財

・方便法身尊像1体   鎌倉室町  県指定文化財

・半身の御影(親鸞聖人)         伝

・高僧連座像
付近地図
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<方便法身尊像>
阿弥陀仏の絵像で、開祖無為信房の
時からのご本尊と伝えられている
<半身の御影>
親鸞聖人89歳の絵姿。親鸞聖人から
形見として頂いたと伝えられる

【 由緒沿革 】
 無為信寺は、親鸞聖人の高弟24人(二十四輩)の一人、無為信房(1186~1264)によって創建された寺で、真宗二十四輩本座十一番の御旧跡である。

 無為信房は、岩代国会津郡(福島県)柳津に生まれ、俗名を武田信勝、甲斐守源義光の後胤武田太郎信義の子である。常陸国(茨城県)稲田におられた親鸞聖人に深く帰依し、親鸞門下として活躍された。親鸞聖人が京都へ戻られた後、会津門田一ノ堰に無為信寺を、奥州宮城郡(宮城県)に称念寺を建立したと伝えられる。

 無為信房寂後、無為信寺は磐城国(福島県)棚倉藩主内藤家の庇護を受け、一ノ堰から棚倉に移った。内藤家が駿河国(静岡県)藤枝に転封となったため、無為信寺も一緒に移基した。その後京都六条に移ったが、戦火で本堂が焼失したことや、子孫が断絶した理由により、御本山(東本願寺)預かりとなっていた。越後国蒲原郡下条村(新潟県阿賀野市)の豪農佐藤宗栄(伊左衛門)は、無為信寺の再興を願い、多くの財を費やし、無為信寺の宝物を下条村に移した。また、幕府が新寺建立禁止令の発布をしたため、数年の労苦の末、柄目木(がらめき)(新潟市秋葉区)の蓮入寺を引寺することで幕府の許可を得て、宝暦年間に新潟勝楽寺寺中の即得寺の順崇を住職に迎え、無為信寺を再興した。佐藤家の屋敷は、今も寺と川を隔てた向かい側にある。

 第1世住職の順崇は、伊左衛門の次女きやと結婚し、5男をもうけるが、次男の第3世香樹院徳龍(1772~1858)は高倉学寮で深励師に学び、「学識は香月院(深励師)、徳行は香樹院(徳龍師)」と称されるほど、東本願寺最高学位「講師」のなかで傑出して活躍し、倫理や生活規範に真宗の教義を生かした教化を行った。甥にあたる第5世香涼院行忠(1817~1890)も「講師」となった。二人とも独身を通し、困窮した人には私財を与え、詩歌や書画にも親しみ、多数の著述がある。
 他にも、徳猊や慈影など著名な学僧を無為信寺は輩出し、その多くの門下僧は真宗教学に影響を与えている。現在も2万点におよぶ貴重な徳龍蔵書が残っている。
<香樹院徳龍と香涼院行忠の墓碑> <蓮入寺寺跡(新潟市秋葉区)>
徳龍が文化6(1809)年に建立した供養碑と、門徒7名が嘉永7(1854)年に建てた蓮入寺跡碑が残っている


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