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私と真宗

吉武ちいほ師(五泉市村松 淨誓寺)
 私は、三条教区の第十九組浄誓寺の住職「吉武ちいほ」と申します。9年前まで、女性である
私が、1カ寺の住職を務めることになろうなどということは、想像もしなかったことでした。
この真宗大谷派が、条件付ながら女性住職を任命されたのは1992年(平成4年)3月、そして男女格差が撤廃されたのは1996年(平成8年)です。現在三条教区では女性住職は代務の方合わせて12人です。皆様、その任に付かれた理由は様々だと思います。
男性のご住職のつぶやきを聞いておりましても、喜んでなられたという方は少ないように思います。
 どなた様も、覚悟を決めなければならなかった時期がおありだったのではないかと推測しております。私の夫もそうでした。夫はこの浄誓寺育ちの次男でしたが、郷里を離れ東京で教員をし、寺とは関係のない家族4人の暮らしをしていました。父の跡をついた兄が、独身のまま早世してしまった為、母が1人で15年間、80歳まで寺を守っていました。其の時期、一大決心をして、夫と私は入寺いたしました。子供2人は別の職種につき東京に残りました。そして十年後夫が病死し、母と私が残されました。母は介護が必要で施設のお世話にはなっておりましたが、母を置き去りにも出来ず、私は寺に残りました。せめて「母を見送るまでは」という気持ちでした。しかしどんなに短期間と心に決めてはいても、法務は、こちらの気持ちに関係なくやってまいります。得度しただけの私には何も出来ず、心もとない不安な生活が始りました。
3ヶ月も経ったころ、初めて、この浄土真宗は他宗とどう違うのだろう、親鸞聖人は何を大事と教えているのだろうと、問いを持ちましたが、十年間の坊守生活の中で、少しは聞法もさせてもらっておりましたのに、まったく分りませんでした。これでは困ると思い、学んでみようと思い立ったのです。しかしその学んでみようと思った本心は、まだ真宗の教えが分りませでしたので、私の考えに会わなかったら、いくら寺にいたって、負けないぞという一線を引いた気持ちでいました。
学び始めて驚きました。今まで大事に抱えていたものが瓦礫であり、その瓦礫を宝物と錯覚していた愚かな自分をあぶりだされ血の気の引いたのを今でもはっきり思い出します。親鸞聖人が[雑行を捨てて本願に帰す]と選び捨てられたことの意味を、しみじみいただけました。
出典が古事記からのであるという「ちいほ」という名前には、宿業の歴史があります。生まれ育った環境の重さはぬぐいようもありません。だからこそ、それまでの表現のしょうもない不安の伴った生き方に出口を探していたのかもしれません。いくら学んでも学問や経験からは「ご本願」には遇えません。私がこの浄土真宗の浄誓寺にご縁があったのは全くの偶然ですが、親鸞聖人が[法然上人に出遇うことがなかったならば]と、ご述壊なされていることと思い合わせ、間に合わせていただいたなー、と、今でも言葉には表せない感激がよみがえってまいります。気がついてみれば、私が私に遇わせて頂くためにこの浄誓寺が存続していました。こんな勿体無いことがあるのです。そのお礼の意味で、何も出来ないけれど、出来る限りお留守番をさせていただきましょうという気持ちで暮らしているはずなのですが、早く交代したい と愚痴がこぼれます。草木の伸び盛りです。境内の清掃をお任せしている方が「ひざが痛くて仕事が出来ない」と言って来ました。その方が治るまで頑張ってみようと、目下のところ草取りに専念しています。
あゆみ続ける道がはっきりしているというのは、この上なく有難いことです。
 脱線も多いのですが、戻る道を間違わないよう今後とも聞法を重ねたいと思っています。


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