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三条教区宗祖親鸞聖人750回御遠忌
お待ち受け同朋大会記念講演
「生きるということ、死ぬということ -存在の尊さの回復-」


三条教区宗祖親鸞聖人750回御遠忌
お待ち受け同朋大会記念講演  
「生きるということ、死ぬということ -存在の尊さの回復-」

東京2組 蓮光寺住職
本多 雅人 氏

越後門徒の伝統

 今日は、「生きるということ、死ぬということ -存在の尊さの回復-」というテーマでお話をさせていただきます。
私は新潟には大変親しみを持っています。東京は、地方から人々が集まってできた都市です。そんな中で、私の寺のご門徒は、実に新潟県出身の方が多いのです。新潟のなかでも長岡周辺の方が非常に多いのです。
 私は先ほどご紹介いただきましたように、葛飾区の亀有にお寺があります。戦後、たくさんの新潟のご門徒が、亀有周辺に住まわれ、蓮光寺の門徒になっていくのです。蓮光寺の責任役員の2人のうち1人が、総代3人のうち2人が新潟県出身で、戦後山古志村周辺から出てこられました。ですから、新潟出身のご門徒に支えられて蓮光寺が成り立っているのです。
 その一人である総代の草間文雄さんの祖父にあたる万蔵さんは、山古志でも名の知られた念仏者だったそうです。その方に育てられた文雄さんの父である此蔵(このぞう)さんと、その兄の万治郎さんの兄弟が戦後亀有に出てこられて食堂やらスーパーやら商売を始められるのです。その生活の中心には万蔵さんから伝わったお念仏があったのです。その後、その一族が次々と出てこられまして、当時未開発であった亀有駅北口は新潟県出身の草間一族によって開拓されたといってもよく、現在に至るのです。今、長岡の歴史博物館で「親鸞となむの大地」という特別展(2014年4月26日~6月8日)が開かれていますが、真宗門徒が越後と佐渡の精神的風土がつくったということで言えば、越後門徒がつくった亀有北口の町といってもけっして過言ではないと思います。
 今年の6月の終わりに、草間此蔵さんの17回忌のご法事が勤まりますが、此蔵さんが亡くなっていくときは、ものすごく感動的でした。スーパーを経営している此蔵さんは、日課である早朝に市場で買い出しをして帰られた後、突然、脳梗塞で倒れて、数日後亡くなられました。 
亡くなるまでの間に感動的出来事があったのです。意識不明のまま寝ている此蔵さんに家族、親族は、様々言葉をかけるのですけども反応することはありませんでした。お孫さんのひとりが、此蔵さんがいつも『正信偈』を大切に読んでおられたことをふと思いだし、此蔵さんの耳にイヤホンを付けて『正信偈』のテープを流したのです。
 すると、反応しなかった此蔵さんが、涙を流されたのです。体は動かないものの、『正信偈』が此蔵さんに聞こえていたのです。こうして、お念仏のなかで、自体満足して亡くなっていかれたのです。その光景をずっと子どもや孫、親戚も、その場に身をおいた人たちはみな感動されたのです。此蔵さんの死を通して、万蔵さんから伝わったお念仏が確実に後に続く人たちに継承されていったのです。「(さき)に生まれん者は(のち)を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮(むぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。無辺の生死海(しょうじかい)を尽くさんがためのゆえなり」という『安楽集』の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の言葉が思い起こされます。それから今年で16年、17回忌の法事がまもなく勤まるのです。
 そのことで思うのですけれども、現代は家族崩壊の危機に面しています。様々な家族がお寺に来られますが、家族の基盤が弱くなっていることを感じます。最近、後継者がいながらお墓を維持できないという相談をいくつか受けました。つまり、息子がいてもほとんど関わりがなく、墓を守ってくれないと。それでは先祖に申し訳ないので、自分の目の黒いうちに、お墓を片づけて、お寺の総墓に改葬したいという相談です。家族のつながりの希薄性がこうしたかたちで現れています。
 そういう状況のなかで、此蔵さんが、家族に見守られながら、念仏の教えのなかで一生を終えられた。その死の姿を見た息子、娘はもちろんのこと、お孫さんたちも、今でも法事に限らず、お寺に来てくださいます。此蔵さんの死は、個人的なことではなく、多くの人たちの共通課題として受け止められているのです。のちほど詳しくお話しいたしますが、清澤満之が「生も我等、死もまた我等なり」と言われた通り、死もまた我等という、死すべき身を大切に生きていきたいという要求が、お寺に足を運ばせるのではないでしょうか。死を見ないと生がはっきりしないのです。家族が維持されているところには、お念仏があるのです。お念仏があれば家族は崩壊しないとは言いませんが、少なくとも、お念仏があるところに家族の真のつながりが作られていくということが、ここに証明されているのではないでしょうか。東京に越後門徒の伝統がかすかではあるけれども継承されている。これは私にとっても大きな励みになっています。
 越後の精神的風土、それは「尾神嶽の殉難」に代表されるような念仏に生きる門徒の伝統が、新潟に生きているのだということを感じます。明治期、現在の東本願寺再建のために殉難死された越後門徒が大勢おられます。そのなかで最も大きな殉難が尾神嶽の殉難です。大雪の山奥からの巨木運搬の際に大雪崩に遭い、多くの門徒が巻き込まれ、殉難死が27名にのぼったと言われています。そのなかに幼児もいたということですから、家族総出で東本願寺再建に尽力した越後門徒の熱意は想像を超えています。尾神嶽での巨木運搬に使用された大橇は本山にも展示されています。さらに巨木運搬のために、毛髪と麻を撚り合わせて作られた毛綱を使用したのですが、女性が髪を切るということは大変な覚悟です。越後からは15本の毛綱が寄進されていて、これも本山に展示されています。現在の東本願寺は、越後門徒の力がなかったらけっして成し遂げられなかったと思います。そこまで念仏に生きた伝統が「越後の精神的風土」となって今も生きています。その伝統を私たちが受け継いでいくのかどうか、それは一人ひとりの問題です。

念仏を称えるとは?

 全国的に念仏の声が聞こえなくなりつつあると言われています。実際、新潟でも聞こえなくなりつつあるのも現実ではないでしょうか。敢えてちょっと辛口なことを申し上げますけれども、先ほどの合掌の際、皆さんのお念仏の声が少し小さかったのではないでしょうか。今一度、合掌してお念仏を申しましょう。何度か称えてみたいと思います。では、合掌をお願いします。<お念仏>
ありがとうございました。東京で、お念仏を声に出して称えましょうと言っても、なかなか声にならないのです。それだけ念仏を称えるということが生活からまったく遠ざかってしまったからでしょう。でも皆さんはすぐ称えられました。それはやはり宿縁のもよおしですね。それだけ新潟はお念仏の伝統が深いということでしょう。
 では、「念仏を称えたのは誰でしょう」と問われたら何と応えますか?びっくりした顔をされている方もいらっしゃいますね(笑)。きっと「自分に決まっているではないか」と思っておられるのでしょう。実は他の真宗伝統の地域で、同じことを尋ねても、びっくりされる方が多いのです。常識的というか、自我意識にたてば、自分でしょう。それはそうです。けれども、お念仏の声を聞いて、と言うよりお念仏の声が聞こえてきてうなずかされて、自分の迷いに気づかされて苦悩の人生を生き抜いてきたのが真宗門徒です。お念仏は呼びかけ、如来(仏)からの呼びかけです。ですから自分の口を経由して、如来が呼びかけてくださるのです。けっして自分が称えたとは言わせない。どこまでも如来の呼びかけなのです。もう少し丁寧に言うと、阿弥陀如来を称賛する諸仏のすすめです。如来が直接呼びかけるというより称揚(しょうよう)する諸仏を通して呼びかけるということでしょう。称えるのは諸仏です。諸仏称名です。南無阿弥陀仏と言葉になった仏を称賛、称揚するというのは諸仏がすることで、凡夫である私たちが称賛することなどできない、できると思うなら傲慢です。私たちはどこまでも、諸仏称賛の呼びかけを聞くということ、聞名です。これが念仏申すということです。そう頷く転換がないと、なかなかわからないことです。
 これも新潟の小千谷出身のご門徒で、草間さんの親戚の草間忠次さんという方が今年の1月に91歳で亡くなりました。忠次さんは、亡くなるまでずっと現役でクリーニング業をされていた方ですが、お客さんの家にクリーニングを届けるときも、クリーニング業界の会合でも、旅行でも、家庭内でも、いつでもどこでも念仏を称えていました。私には忠次さんはお念仏を称えながら「忠次、しっかり生きろ」っていう励ましをいただいているように見受けられました。葬儀のなかでの弔辞で、クリーニング業界の代表の方が「あなたは、どこへ行ってもずっと念仏を称えていた。それが忘れられない。」と述べておられました。念仏に何かを感じ取られていたのでしょう。忠次さんの念仏の声は、意味がわかるとか、わからないとかを超えて、まわりの人からも好意的に受け入れられていたのです。それは、念仏によって忠次さんが支えられてあることを感じ取られたからではないでしょうか。その弔辞にとても感動しましたが、念仏の声が聞こえてくる生活の場がある大切さを今更ながら感じたのでした。

人間の思い(自我)が抱える問題

 本題に入る前に色々話してしまいましたが、本題と無関係というわけではありません。あらためて、テーマとして「生きるということ、死ぬということ」、サブテーマとして「存在の尊さの回復」を掲げましたが、少し問題提起をしてみたいと思います。
 現代は、死が見えなくなった社会です。つまり、死を排除した社会なのです。死を受けとめないと本当に生きるということが成り立たないのに、その死に蓋をしてしまったのです。生と死を区別して、生の埒外(らちがい)に死を追いやってしまったということは、実は生きるということがわからなくなった時代になってしまったのです。
 死ぬということを知っている、そして死を意識できるのは人間だけなのです。屠殺場などに行くと、豚や牛が自分の殺される前に鳴くということがありますが、それは感覚みたいなもので、日ごろから死を知って生きているのではありません。うちの寺には、高齢の犬がいます。目がまったく見えなくて日々衰えていますが、犬が、あと何カ月生きられるだろうかと考えたりしません。つまり、犬をはじめ他の動物は、老いたくないとか、死にたくないとか、そういう自分の思いにとらわれることなく、老いをそのまま受け入れ、死をそのまま受け入れて生きているのです。事実唯真の世界を生きているのです。
 ところが、人間は、動物より数段高度な知恵を持っていますが、その知恵が事実を受け止めるということができなくしています。ですから、死だけではありません。老いも病気も見たくないし、受け止められないのです。思いを生きて現実を受け止めて生きることができないのです。受け止められないで、孤独感を持ったり、不安やむなしさを感じて生きている。そこに人間の思い(自我)が構造的に抱えている問題があると思うのです。
私たちは、自分の都合の悪いものに全部蓋をして、自分の思い描いたことが(かな)えられれば幸せになれるのだと思って生きているのではないでしょうか。その最たるものが、死を排除するというかたちで現代は現れています。
 都合の悪いものを排除して、都合のいいものをかき集めて、豊かに、豊かになろうという方向で歩んできたのが近現代という時代です。そういう自分の思いを疑ったことがない、人間の思いが絶対化された時代です。しかし、自分の思い描いたこと、都合のいいことが実現することが幸せだという迷いから目覚めよと呼びかけるのが教えです。もっと言うと、人間の思い、自我が人間を苦しめているということを見抜いたのが如来の眼であり、仏教の人間を見る視座です。
 実際、私たちは多かれ少なかれ、豊かになれば幸せになれるのだと思って生きてきたと思います。しかし、人類史上、最も豊かな時代でありながら、これほど人間が見えない、非人間化された時代はかつてないのではなかったのではないでしょうか。豊かになって楽になった部分がありますから余計に見えない。豊かさを享受した結果、人間が破壊されてしまったというもっと大きな代償を背負っているのが現代です。人間の思いが人間を苦しめるとは現代をまさに言い当てているのです。
 3・11の大地震とそれに伴う原発事故を通して、人間そのものを問われなければいけないと、こう言われ続けながら、なかなか人間の愚かさに気が付かない。こういう問題があるのではないかなと思います。それほど人間の自我は根深く、一筋縄ではいかないのです。
 ですから、一度自分のあり方が問われたならば、とことん聞法していくことしかないのです。いつの時代においても、死を受け止められず、自分の思いに沈む私たちが、南無阿弥陀仏の本願の呼びかけによって、人間存在の愚かさを自覚して、苦悩のいのちを生き抜いてきたという、そういう本願転換の歴史に参画していく。御遠忌の前に、今まさに、そういう機縁をいただいているのではないかと思うのです。 

生老病死の身

 人間の自我、知恵と言ってもいいでしょう。その問題をさらに掘りさげてみます。私たちは「生きるということ」と「死ぬということ」を別々に考えがちですが、仏の教えに照らすと「生」と「死」はひとつと教えられます。死の因は生まれてきたことですから、実は生まれるということと死ぬということは同時に成り立っているのです。「生死一如(しょうじいちにょ)」です。
 ところが、私たちの知恵(自我)は、生と死を分別し、かつ対象化してしまう。それが苦を生むと仏教は見抜いているのですが、自我を絶対として生きていますから、なかなか頷けないのです。
 私たちは、生きていることがよく 死ぬのはよくない、若いのがよく 老いるのはだめだ、健康がよく 病気はだめだというように分別し、自分の都合にあったいのちしか認めません。思う通りにしたいという気持ちに取りつかれ、生老病死の身の事実を生きていることを忘れて苦しんでいるのです。
 「老」についてと言うと、老いるより若い方がいいと誰もがたぶんそう思っているのではないでしょうか。私は54歳ですけれども、先日、40代前半に見られまして、すごくうれしかったのです。うれしいだけではなく、そう言ってくれた人がとてもいい人に見えてくるのです。皆さんも若いと言われたらうれしいでしょう。逆に、年齢より上に見られたら、あまり気分がよくないし、いやな人に見えてきますね。人間はうそでも褒められたいのです。そして自分にとって都合のいい人をよい人としていくのです。人間の善悪の価値基準はまったくいいかげんなものです。人間は思いに生きていて、事実を受け止めることがとても苦手なのです。
 現代は経済的な価値基準が蔓延しています。つまり役に立つか立たないかという基準で人間をはかるのです。そうすると「老」ということは、その価値基準からいうとはみだされてしまうのです。自殺がよく問題になりますけれども、若い人よりお年寄りの方が多いのです。実際、うちのお寺を見ていても、いのちを断つ方はお年寄りが多い。それは、年を取ったら駄目だというふうに、現代の価値観にどっぷり浸かりながら、かつ自分の思いで自分を決めつけてしまうからです。老いたままに尊い、老いたままに私であると受け止めて歩めるということは、人間の思いの世界では成り立たないのです。誰もが老いる身であり、病んでいく身であり、死すべき身であるにもかかわらず、その身と真向かいになって生きていくことがないのです。やはりお念仏を通さないと、事実に真向いになって生きるということが成り立たないのではないでしょうか。事実を受け止めるとは、何も足さない、何も引かない、等身大の自分に出遇い続けることといってもいいでしょう。
 ところで、一番わからないのは生老病死の「生」です。「生苦」とは、生まれる苦しみということです。私たちは、お誕生日おめでとうと言いますが、おめでとうと安直に言えないものを人間は抱えているのです。例えば、何でこの家に生まれたんだろうと思ったことはありませんか。何でこの親だったのか、何でこんな顔をしているのだろうとか。何でこんな時代に、何でこの場所に、そういうことを少なくとも1回は考えたことがあると思います。私は、生まれたら寺だったのです。自分で選んで寺に生まれたのではなく、生まれたら寺だったのです。時には、お寺のお坊ちゃんなんて言われてヨイショされていい気持ちになったこともありますが、坊主のくせにとか、坊主丸もうけとか罵声を浴びせられるようになると、何でそんなことを言われなければならないのだと、何で寺に生まれてしまったのかと悔やむわけです。ですからすでに苦しみ、迷いをもって生まれてくるのです。無始以来の迷いのいのちの営みのなかから生まれてきたと言ってもいいでしょう。
 ですから、本当は生まれたときに、ご愁傷さまと言わねばならないのではないですか。どんな自分も受け止めるということは容易なことではありません。状況によって、自分を受け止めることができないのが人間として生まれた存在の悲しみです。しかし、存在の悲しみを抱えたままで、自分の思いを破って、事実を引き受けて生き通したというところにいのちが終わるならば、そのときに初めておめでとうと言えるのではないでしょうか。つまり、誕生したことを本当に喜べた時に「往生」という言葉が使われるのであり、苦悩と真向かいになって、自分の思いを翻して歩む道を「往生道」として語られてきたのです。
 

すべてやってもらう社会

 くり返しますが、「生」と「死」を知っているのは人間だけなのです。それゆえ人間は「死」に(おび)えるのです。と同時に、「いずれは死んでいくこの身をどう引き受けて生きるのか」という宗教的課題を持つのも人間だけなのです。
 ところが、その課題に向き合うことが甚だ難しい時代になりました。なぜなら、人間の思い、自我を絶対化して疑うことがなくなってしまったからです。人間を見つめることがなく、大きな経済システムのなかでマニュアル化され画一化された現代は、「死」がまったく見えない社会になってしまったのです。「死」の問題にかぎらず、苦しみとか悲しみはない方がよいという考えが蔓延し、いざ自分の前に苦悩とか悲しみが起こってきたときに自分の手を汚さないで専門家とか専門分野の人にゆだねていく、つまり何でもやってもらう社会になってしまったのです。苦悩を苦悩として真向かいにならないということは、本当に生きたことにならないのではないでしょうか。
 やってもらう社会というのは、関係性を必要としない状況を作り出します。例えば、家族の状況はどうなっているかというと、確実に解体に向かっています。やってもらう社会ですから、家族の中で、協力したり、分担してやることがほとんど何もないのです。時代的に仕方がないことかもしれませんが、誕生と死が家庭内にありません。生まれるのも病院、死ぬのも病院か介護施設で、死んだら葬儀社に任せきり、すべて専門家に委ねています。葬儀もきちんと勤めず、火葬場に直行してしまう「直葬(ちょくそう)」も増えています。自分の大切な肉親の死もゆっくり受け止めることができません。私たちが一番教えに出遇うチャンスは、大切な人の死を通してですが、それすらも葬られているのです。また共働きが多いのは仕方ないことですが、0歳児から預けるのです。預けて、育ててもらうのです。ですから子どものおむつが取れる時を知らない母親が増えているのです。子どもの状況がよくわからない。わからないから、ちょっと熱が出たりするとすぐお医者さんに連れて行きます。昔は、各家庭に救急箱が必ずあって、できるだけの治療をしたものです。子どもの熱の出方によって、何の病気なのかわかったくらいで、特に母親はお医者さん以上に診断できる部分さえあったのです。今の家族は、困ったことがあるとすべて専門家に委ねる状況にあるのです。家族だけではありません。すべてやってもらう社会、財布の開け閉めだけの社会になってしまったのです。
 それから経済の発展は、やはり関係性を崩壊させていくのです。便利になると、家族の中で、助け合うことがない。接することもほとんどなくなっていくのです。例えば、40年ほど前までは、一家にテレビは1台しかなくて、これはお父さんの時間、これはお母さんの時間、これは子どもの時間と話し合いで決めていましたね。テレビを媒体に話し合い、また譲り合うことも覚える。そういう関係性が成り立っていたのです。私には3人の娘がいますが、みなテレビを持っていますし、スマホを加えれば、一人2台あることになります。家族がそれぞれ別々の部屋で同じ番組を見るということが起こっています。むしろ、それがふつうの光景になっているのではないでしょうか。だから話し合うこともないし、譲り合いの精神が育まれることもない。家族といっても何の関係もつながりもない、そういう状況になっているのではないでしょうか。
 電話も家族全員が持っていますね。私が中高校の頃、女の子と電話をする時は、親に知られないように、あらかじめ学校で今日は8時ちょうどにかけてねとか約束して、8時になると、電話の前で待っていたものです。それはどういうことかと言うと、両親の目を気にしているのです。でも固定電話で話しているのですから、前を通られてしまうと「今誰と話していたの」と聞かれてしまうわけです。そうやって、親を意識してすごしてきました。これも一つの関係性ですね。つまり、親の存在感が自分のなかにあったということです。ところが今は、家族皆持っていて、電話やメールをしていますから、何があったか全然分からない。娘たちは年ごろになっていますから、こちらは気になるのですが全然わからない。かといって、娘に恋人はいるのかと聞くと嫌われてしまいますから聞くこともできない。同じ屋根の下に住んでいるだけのことで、相手のことがまったくわからない、それが現代の家族状況ではないでしょうか。
 家族に限ったことではなく、どこでも状況は同じです。教育現場もそうですね。以前私は高校の教員をしておりましたが、本来、教育というものは、現場にいる先生と生徒の関係を通してなされるものですが、私が退職した96年ごろになると、学校の問題を先生と生徒の間で問題に向き合って解決することをしないで、教育カウンセラーという専門家が入ってきて解決にあたるということが出てきました。現場にいない人間だけで現場の問題を解決するということは本来ありえないし、先生と生徒の関係性が崩壊してしまうだけなのです。こころの問題すらも、カウンセラーと呼ばれる専門家が心のケアと称して行う。すべてやってもらう社会です。
 大きな経済システムのなかで、やってもらう社会が作られてきたわけですが、その最後のターゲットは「終活」と呼ばれる死の準備です。ついに「死」の準備すら終活カウンセラーとよばれる人たちに委ねるようになってしまったのです。例えば、70歳越えたら、そろそろ終活だと、エンディングノートに色々なことを書いて準備をしたり、葬儀屋さんはどこがいいか、墓はどうするか、財産はどうしたらいいかとか、すべて問題を外に見て、自分の思いを(かな)える方向で対策対応をしていくのです。対処療法では生死の問題は解決しません。残りの人生をどう生きていくのかということも終活だといわれていますが、やはり自分の思い描いたこと、思い通りになることが幸せだというのが前提にあるのではないでしょうか。例えば、実際に棺桶に入って死を受け止めてかぎりある生を大事にしようということまで終活としておこなっています。それはやはり死ぬまで、せいぜい楽しいことをやっておこうという発想にしかならないのではないでしょうか。自分の思いを満たすだけでは、本当に人生に満足することはありません。その思いこそが迷いだと知らせるはたらきが南無阿弥陀仏ですね。人間の思いが人間を苦しめているということは散々お話ししてきたことです。終活の名を借りて、また同じことをしているだけです。つまり人間の思いを満たすこと、それを専門家に委ねているのが終活の状況ではないでしょうか。
 人間は様々な問題を抱えてながら死んでいかなくてはならないのです。ですから、死の準備や対策を立てることが悪いとは言いませんが、これでは本当に死を見つめたことにはならないのです。生きることは、思い通りにならない現実、不条理なことに遇うことです。もっと言えば、思い通りにならないということが実は生きるということなのです。仏教は生と死を分けず、生死一如(しょうじいちにょ)と教えます。死んでいけると思えた時、実は本当に今を生きられるようになるのです。この私の存在の尊さが何の条件も変わらないままに、回復されるのです。だから仏教が問いかけていることは、誰もが、どんな状況、どんな自分であろうと、この自分を見捨てず受け止めていきたいという深い願いに目覚めることです。いつ亡くなっても、これが私の尊い人生であったと言えるような歩みが与えられてくることこそが求められているのではないでしょうか。自分の思いを超えた自分が深く頷けるものに誰もが出遇いたいのではないでしょうか。ですから、厄介なのは、それを阻んでいるのは人間の思い(自我・自力)なのです。だから、本当の願いがわからないのです。本当の願いがわからないから、何で生きているかわからないのです。これではむなしい一生になってしまいます。

往生成仏の道

 私の存在の尊さが何の条件も変わらないままに、回復されるということは一体どういうことなのか、具体的な例を出してお話ししてみようと思います。
 門徒さんとの関わりの中で様々なことを学びましたが、最も印象に残っているひとつとして、三年ほど前になりますが、末期癌の門徒さんに病室で帰敬式をするという思いがけない御縁をいただきました。このご門徒さんはお医者さんで、とても知的な方でした。もう余命いくばくもないと自覚して、自分の人生を総括しようと手記を書き始めたのです。総括したいということは、どこかでよき人生であったと納得したいのですね。ところがそれとは裏腹に、書きはじめてみると、いやなことばかり思い出してくると言うのです。それも人間の自我の構造ですね。結局、自我に苦しめられているのです。そんな状態なので、整理がつかなくなって、住職に来てほしいということになり、私は病院に向かいました。
 門徒さんから色々お聞きしましたが、集約すれば、「私の人生は何だったのか、混乱してきて、これでは死に切れない・・」ということでした。混乱のなかにも「生きるとは何か」「死とは何か」「自分とは何か」という深い宗教的問いかけを意識的にせよ無意識的にせよ持っておられることを感じました。
 門徒さんの話を聞いて、私は「今、お話しいただいた苦悩もすべてあなたのかけがえのない尊い人生の出来事ではないのでしょうか」と、とっさに口にしてしまったのです。苦しいから私を呼んだのに、死を前にした門徒さんに、苦悩もあなたの人生と言ってしまったことで門徒さんは取り乱すのではないかと、大変後悔しました。
 ところが、門徒さんは、「そうか!すべて私のかけがえのない人生なのですね。なんだ、そういうことか!」と、満面の笑みを浮かべたのです。それは自身の愚かさに気づかされた喜びだったのです。「苦悩もすべて私のかけがえのない尊い人生の出来事」と受け取られたのです。この受け取りがご門徒さんのお念仏の内容だったのではないでしょうか。私は口にしてしまってびびっていたのですが、私の思いの言葉ではなく、私の口を経由した如来の呼びかけとして受け取られたのではないでしょうか。そう思えてならないのです。
 「念仏は自我崩壊の響きであり、新しい自己誕生の産声である」と金子大栄先生が念仏のはたらきをそう表現されました。このご門徒にとって「すべてかけがえのない人生」ということが念仏の内容だったのです。ご門徒は自分の思いに閉じこもっているあり方が愚かであったと気づかされ、等身大のそのままの自分に出遇われたのです。
 念仏による自己誕生を「往生」と言うのです。往生を曽我量深先生は「信に死し、願に生きる」と表現されました。信心とは教えに降参すること、教えに頭が下がることです。念仏の呼びかけによって、自我分別する私がひっくり返って、本願に生きるものとなっていく。つまり、如来の智慧の眼から人生をいただき直すことが、本願に生きるということであり、仏になるべき身として往生道を歩むことなのです。往生とは、苦悩が生きる力に転換されることなのです。換言すれば安心して迷うことができる道を歩むこと、それが往生成仏の道です。私たちは思い(自我)に翻弄されて真実が見えないけれども、自我意識よりもっと深いところに、脈々と願いが胎動しているのです。人間は、何も足さない、何も引かない、等身大のそのままの自分でよしということに頷きたいことが、このご門徒からも教えられることです。
 ご門徒は「ご住職、法名をつけてくれませんか」と言われました。私は「釋」を名のる仏弟子として生きるほかに道なしと決意した自己誕生の儀式が帰敬式であることをしみじみと感じ、病室で帰敬式を行いました。準備をしてきたわけではないので、法名を紙に書き、ご門徒に手渡し、皆でお念仏を申すという帰敬式でした。ご門徒が照れくさそうに「名前負けしていますね」と言った瞬間に、奥さんも娘さんも号泣しました。穢土(えど)の病室が、浄土の空間に変わっていました。穢土とは自分を受け止められない愚かな凡夫の世界です。浄土とは、どんな状況においても存在の尊さを失わない仏の世界、本願が南無阿弥陀仏となって呼びかける世界です。病室が浄土の功徳に満ち満ちていたのです。浄土は穢土の上にはたらくのです。竹中智秀という先生が「浄土へ往生するということは、今を生きられるようになったということです」と言われておられるように、死んだら浄土へ往生するのではなく、今ここに浄土の功徳が与えられて生きるものとなるのです。
 親鸞聖人は『末燈鈔』のなかで「浄土宗のひとは、愚者になりて往生す」という法然上人の言葉を引かれて大切にされておられます。宗とは依りどころです。浄土を真の依りどころとして生きる人は、愚者の自覚があたえられて往生するのです。浄土にふれれば、自分のあり方が愚かであり、救われ難き身であったと自覚する。それが往生道を歩むすがたです。ただの愚者、凡夫ではありません。照らされた凡夫です。凡夫とは、どこまでも如来の眼から映し出された自分のすがたなのです。凡夫でなくなるのではないのですね。凡夫のままに、凡夫の自覚をもって生きるのです。救いには自覚が伴うのです。

親鸞さんにあおう

 ご門徒ひとりが救われただけでなく、同時に奥さんと娘さんも救われたのです。「親鸞一人がため」ということは、親鸞聖人だけが救われるのではないのです。親鸞聖人が救われるということは、一切衆生が救われるということです。親鸞聖人が明らかにされた教えの伝承が一人ひとりの己証(こしょう)となって、また伝わっていく。様々な人の己証の言葉を通じて、この私の上にも伝わり、それがまた伝わっていくのです。草間此蔵さんと家族の関係もそうでしたね。ですから、皆さん一人ひとりの苦悩は、真実に出遇うための苦悩であって、個人的苦悩ではないのです。私一人の問題は全人類的課題を背負っている、一切衆生の問題なのです。そういう大きな本願展開の歴史の中に、歴史的存在として皆さんも参画しているのです。これが三条教区の御遠忌のテーマである「親鸞さんにあおう」という内実ではないでしょうか。
 私はご門徒と硬い握手をして病室を後にしました。今生の別れの握手でしたが、願われたいのちは、奥さまや娘さん、そして私にも継承されたのです。私が帰ってから三時間後、ご門徒は昏睡状態に陥り、三日後に往生の素懐を遂げられました。ご門徒は、「すべてかけがえのない人生」ということに頷くために生まれてきたのです。ですからそれまでの人生も無駄なことは何一つなかったのです。その頷きから、ご門徒の往生道がはじまったのです。短い三日間の往生道が、短いままにこの上ない深さを持っていました。
 どうでしょうか。いわゆる「終活」とはまったくちがった形で、人間を成就していくのが仏道です。それは人間の思い(自我)を翻すという形で与えられていくのです。苦悩することこそが真実に出遇える大切な宝だということは、人間の思いからは出てこないのです。念仏申す一点です。老いも病気も受け止められない根源に自我の問題があります。その自我を破ったところに脈々とはたらいている願いに出遇わせてもらうことが大事です。

存在の尊さの回復

 最後にもう一つ「病」を例に具体的なお話をします。昨年、私が住職になって14年目で初めて門徒さんが仏前結婚式をしてくれました。その仏前結婚式の場で、自分の思いの愚かさに気づき、病気を真正面から受け止めようと転換された参列者の方がいらっしゃいました。
 寺の聞法会に出席している男女が結ばれたのですが、聞法を通して結婚するというところに何かうれしさを感じました。結婚式では、二人が阿弥陀如来に誓いの言葉を述べ、その後に、私がお祝いの法話をするのです。そのお祝いの席でも、いやお祝いの席だからこそ、老病死に関わる法話をしないと、人生の新しい門出にはならないのです。ですから一般の結婚式では絶対に言ってはならない「別れる」「死ぬ」「苦しい」という言葉を使わざるを得ないのです。一般の結婚式とか披露宴でこの言葉を口にした場合は非常識と言われますね。一般の結婚式は人間の思いの延長上にあるのです。いいも悪いも、新郎新婦を褒めたたえ、乾杯をして「おめでとう」と、そして酔っ払って終わるのが一般的な結婚披露宴ですね。それが悪いとは言いませんが、少なくともいのちの厳粛な事実に蓋をしていることは事実だと思います。
 人間は一人で死んでいくものです。夫婦といってもいっしょに亡くなっていく可能性は0.1%もありません。どんなに愛し合って結婚しても「愛別離苦」と言われる苦しみに直面しなければなりません。私は「結婚したということは、どちらかが先に亡くなって、どちらかが棺に花を入れて「お疲れ様でした。ありがとう」と言う日が来るのです。二人が生活を共にするということは、死を生の埒外(らちがい)においやって誤魔化すのではなく、いのちの厳粛な事実をしっかり受け止めて生きていくことを決意するということではないでしょうか。あらゆるものが変わっていってしまうということが道理です。しかし死別していくいのちであっても永遠に変わらないものを教えに尋ねていってください。おめでとうございます」とお祝いの法話をしました。
 私の法話に、意味がわからずキョトンとしている人が結構おられました。でも聞法し続けてきた新郎新婦は、頷きながら深々と頭を下げました。私の法話の途中で泣き出す人がいたのです。その人は式が終わると私のところに来ました。その方は60歳前の女性でした。彼女は、3カ月前に乳癌が発見され、残念ながら手遅れで、癌が全身に回ってしまったのです。どうしようもない絶望感の中で、とてもお祝いの席に同席する気持ちにはなれずに来てしまったのです。ところが彼女は「住職さんが、お祝いの席で、生きるということは、悲しみや苦しみを抱えて生きることだということをお話しいただき、はじめて癌が私だと思えました。癌のままで生きてこうと初めて思いました」と言われたのです。自分の思い(自我)ではけっして受け止めることができないのです。仏前結婚式という場が、新郎新婦の誓いの言葉が、私のお祝いの法話が、彼女の思いを破る縁となり、癌のままに生きて往こうという転換が起ったのです。癌のままに生きてあることが尊いことなのです。自分の迷いに気づかされ、愚かな凡夫だったと頷かされた時、生きる意欲が与えられるのです。救いには自覚が伴うのです。さきほどいつでも死んでいけると思えた時、本当に今を生きられるようになると言いましたが、この女性もそれを証明してくれました。「生死一如」です。永遠に変わらないものとは、私が私でありたいという深い願いですね。彼女は本当の願いにふれたからこそ言えたのです。この願いに目覚め、生きる意欲を与えられてきた歴史が本願の歴史そのものなのです。これが南無阿弥陀仏の結婚式です。
 癌を治しますという宗教が氾濫しています。藁をもつかむ気持ちで入信しても治ることはありません。直らないと信心が足りないとか、お布施が足りないとか言われるだけです。言われるほうは、神もほとけもありはしないと歎く。これは最初から取引です。取引で人生の根本問題は解決しないのです。状況を超えて、苦悩のままに苦悩と真向かいになって生きていく意欲が与えられることが救いではないでしょうか。しかし、一度頷いたら解決するというわけではありません。なぜなら自我はそれだけしぶといのです。せっかく転換がおこったとしても、常に聞法していかなければ、元の木阿弥です。「聞」の生活、南無阿弥陀仏の生活が大切です。
 東京のような時代の最先端にあって、まったく念仏が通用しないように感じられるところでも、実はこの教えでしか救われない、つまりいよいよ親鸞聖人が明らかにされた教えが待望されているように思います。「存在の尊さ」の回復が何よりも緊急の課題であり、同時に永遠の課題として、私たちの前に提示されています。
 聞法の座には、例えば三条別院の柱一つ一つにも、人間のどうにもならない深い悲しみが染み込んでいて、その悲しみの中に深い願いが生きている。その願いに出遇ってきた人々が越後と佐渡の精神的風土を作ってきたのです。この風土のなかで生きる皆さんを如来が待っていてくださいます。ぜひ親鸞聖人の歩いた道を歩いてほしいと。それが「親鸞さんにあおう」という呼びかけですね。その本願の歴史に、このご遠忌を勝縁に、私たちも参画していきましょう。
 まとまらない話で恐縮ですが、時間がまいりましたので終わりにいたします。ご清聴ありがとうございました。(了)
2014年4月27日(日)開催

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親鸞聖人750回御遠忌

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